調子に乗って、今度は映画の原案書いてみます(笑)。
タイトル「ロックと公開処刑」
主要キャスト
小説家 八島健三(竹中直人)
ロッカーを夢見る女子高生 夏目法子(沢尻エリカ)
公開処刑法施行に尽力した法務大臣で夏目法子の父 夏目一郎(北大路欣也)
八島健三の娘で夏目法子の同級生 八島喜和子(北川景子)
夏目法子の兄で裁判官 夏目律夫 (浅野忠信)
制作
プロデューサー 角川春樹
監督 笠木望
みもふたもないあらすじ
小説家の八島は21世紀初頭に発生した夏目家の悲劇の執筆依頼を受ける。
法務大臣の夏目一郎は凶悪犯を公開処刑する法律の施行と、
凶悪犯罪者を容赦なく極刑とする刑法改正を主導した。
一方、夏目一郎の娘の法子は高校に入学して、
級友であり八島の娘である喜和子と仲が良くなり、
ロックに目覚める。
厳格な父と兄に隠れて、音楽に夢中になる法子。
やがて、学園祭にバンドを組んで出演することが、
父と兄の知るところとなり、悲劇が起きる……。

詳細なあらすじ
1
作家八島にかつて公開処刑法案を施行した夏目元法務大臣と、
その一族の悲劇についての執筆依頼がある。
八島はパソコンに向かい、40年近く前の出来事を回想した。
21世紀初頭、国内には凶悪犯罪が横行し、
モラルと法律というものがしきりに問われる時代だった。
未成年が安易に犯罪に走り、身勝手な理由から凶悪犯罪を起こすものが沢山いた。
法務大臣夏目一郎は、公衆の面前で死刑囚を処刑する公開処刑法の施行と、
凶悪犯罪を厳罰化する法改正についての研究会を発足させた。
当初、この野蛮で前時代的な法律の研究会を発足させた夏目法務大臣は、
知識人や文化人たちの嘲笑の的にされた。
しかし、増加する一方の凶悪犯罪の被害者の遺族の殆どが、
この研究会に賛同の意を示したことから、
少しずつこの研究会は評価され、「公開処刑法」を支持する人は増えていった。
2
八島は娘の喜和子から、入学した高校で夏目法務大臣の娘の法子と、
同じクラスになったことを知らされた。
喜和子によれば、法子はその名前が示す通り、
夏目家の人間として、女性であっても、
将来は国立大学の法学部へ進学し、
裁判官となることを義務付けられていて、
クラスでも群を抜いて頭が良いのだそうだった。
定期試験の前に八島の家で勉強会を開いたことから、
喜和子と法子は急速に仲が良くなった。
作家の父に自由奔放に育てられた喜和子と、
政治家の父に厳格に育てられた法子は、
互いに持っていない部分に惹かれあった。
法子は勉強会と両親に偽って、
放課後はほとんど毎日、八島家に遊びに来ていた。
語学に関しては喜和子の方が優秀だったので、
英語と国語を習いに行くというのが、
法子が放課後八島家に寄る口実だった。
しかし、実際は八島家に遊びに行くために、
法子はわざと語学の点を落としていた。
帰りが遅くなることがあると、
法子の兄で判事を務めている律夫が、
ドイツ製の車で八島家まで迎に来た。
律夫は非常に礼儀正しかったが、融通の利かないカタブツだった。
律夫の車に乗り込む時の法子の顔は、いつもとても暗い顔をしていた。
CDデッキも携帯音楽プレーヤーも持っていない法子は、
八島家に通ううちに、コンポの前に座り込んで、
喜和子や八島がコレクションしたCDを忙しなく入れ替えながら、
音楽を聴き込むようになった。
法子は音楽を非常に愛していたが、
厳格な夏目家では、
娯楽のための音楽などを聴いている時間があったら、
勉学にいそしまなければいけなかった。
一度、法子がお気に入りのアーティストが特集された音楽雑誌を、
喜和子から借りようとしたことがあったが、
迎えに来た律夫が目ざとくそれを見つけ、
法子に返すように強く迫った。
法子は涙ながらにその雑誌を喜和子に返した。
季節が秋を過ぎて冬になること、
夏目法務大臣の尽力により、
公開処刑法は衆参両議院で賛成多数を得て施行された。
そして、その1か月後の土曜日、賛否両論が渦巻く中、
第1回公開処刑が、東京お台場の、特設野外ステージの上で、執行された。
法務省の発表によると、公開処刑を見にきた人は約5万人で、
北海道から沖縄まで、ほとんどの地域から人がやって来ていた。
この第1回公開処刑の映像は、NHKによって日本全国に実況中継され、
また、民法各社も繰り返し、公開処刑の模様をニュースで放送した。
このころから、法子は、
父の夏目法務大臣について話が及んでも、
何も話さなくなった。
ただ、一度、八島家の居間で談笑していた時に、
テレビに映った夏目法務大臣を見て、法子は、
「父や兄は何事も、厳しくすれば良いものができると思っているんです。
社会もそうだし、人間も。でも、絶対間違っています」と、言った。
3
喜和子と法子が高校2年生になった春、2本のギターが八島家に届いた。
宛名は1本が「八島喜和子」で、もう1本が「夏目法子」になっていた。
聴くだけでは我慢ができなくなった喜和子と法子が、
自分の小遣いを少しずつためて、ギターを買ったのだった。
喜和子と法子は教科書を広げていることはほとんどなくなり、
常にロックバンドのDVDを流し、楽曲のスコアを部屋中に広げ、
2人でギターを弾いて、はしゃいでいた。
特に法子には音楽の才能が備わっていて、
Fコードがなかなか押さえられなくて苦戦する喜和子を尻目に、
すぐにいろいろな曲が弾けるようになった。
同じころ、公開処刑が第2回、第3回と重ねられていった。
初めのうちこそ、執行会場は厳粛な空気に包まれていたが、
回を重ねるうちに、イベント的な趣が強くなり、
人々が物見遊山感覚で公開処刑を見に行くようになった。
処刑ステージ最前列の席を確保するためには、
前日の夜から並んで整理券を手にする必要が生まれ、
テキヤが焼きそばを売り、
ダフ屋がいらない整理券を売買するようになった。
法の執行がイベントになり下がったと、法学者は嘆いたが、
凶悪事件の数は減少し、世の中の治安は目に見えて良くなった。
夏目大臣は、さらなる安全国家を目指し、
意図的に人を1人でも殺したら、よほどのことがない限り、
極刑に処する刑法改正運動を開始した。
この運動を開始するにあたって、夏目大臣は会見の最後に、
「凶悪な人間を法の力によって殺し尽くすことで、
善良な市民が安全に暮らせる社会にする」と宣言した。
4
夏の初めに、八島は法子から進路についての相談を受けた。
それは、法学部で法律を学ぶのではなく、音大に進学して、
真剣に音楽を勉強したいというものだった。
八島がお家の人には話したの? と聞くと、
「ゆるしてくれるはずがない」と法子は首を横に振った。
「パパ、法子ちゃんのお父さんを説得してあげてよ」と喜和子が口を挟む。
「パパがノーベル賞でも取っていれば別だけどね。
現役の法務大臣が会ってくれるはずないよ」
八島はそう言って、法学部に進学して、
軽音サークルに入ればいいのではないか、という妥協案を提案した。
法子は悲しそうに笑った。
その日の帰り、法子は八島と喜和子に向かって、
「音大へ進学したいのは、コソコソと隠れるようにではなく、
できれば家族の公認のもと、
自分の音楽の才能を試してみたいからだ」と言って、照れたように笑った。
その数十秒後、まるで病人のように暗い顔をして、
兄の運転する車に乗り込んだ。
社会では夏目大臣主導の刑法改正が進んでいた。
凶悪犯罪を激減させたことで、
夏目大臣の声望が高まっていたこともあり、
刑法の改正はスムーズに進んだ。
そして、日本は人を意図的に1人でも殺せば、
極刑に処される国になった。
公開処刑のアミューズメント化も一層進み、
自治体によっては、参加型という呼称で、江戸時代と同じように、
見物人が罪人に石を投げつけてもよいとするところも出た。
公開処刑は少しずつ祭りの様相を帯びていった。
人々は自分の正義を確認するために、
公開処刑を心待ちにするようになった。
5
法子は喜和子に誘われて、秋の学園祭で、
喜和子と一緒に同級生とバンドを組んでステージに立つことになった。
家族にばれることを恐れた法子は、最後までためらっていたが、
喜和子の「内緒でやれば、ばれないよ」
という一言に乗せられてステージに立つことにした。
何事も中途半端を好まない法子は、学園祭のステージで、
最高のパフォーマンスを見せるため、
家でもギターの練習をすることにした。
喜和子から旧式のラジカセとCDを借り、
それまで八島家に預けていたギターをそっと家に持ち帰り、
家族が寝静まった後、部屋のカギを閉め、
ヘッドフォンをつけて、夜が白むまでギターを弾いた。
法子が音楽に傾倒していることがばれたのは偶然だった。
たまたま、飲み会帰りの担任教師が、
繁華街で夏目大臣と律夫に出くわし、
「音楽をやりはじめてから法子は明るくなった」と話したのだった。
夏目大臣は激怒して、すぐに娘に電話をかけて詰問した。
いつものように八島家にいた法子は、父からの電話を受けて泣いた。
音楽をやっていたことを黙っていたのは悪いと思うが、
どうしても学園祭に出たい、
ステージに立って思いっきり自己表現がしたいと涙ながらに訴えたが、
夏目大臣には聞き入れてもらえなかった。
八木は法子に心底同情したが、親にはむかってまで、
ステージに立てとは言えなかった。
失意の法子は喜和子にタクシーで送られて、家に帰った。
法子が自分の部屋に入ると、
兄の律夫が手にラジカセとCDを持って立っていた。
それを交互に壁に投げつけると、
「お前ってやつは、勉強するふりをして、
小説家の家で音楽なんかやってやがったんだな」と怒鳴った。
法子は必死に兄を止めようとしたが、律夫は止まらなかった。
タンスやクローゼットの中のものをぶちまけては、
「堕落しやがって、あとは何を隠しているんだ」とヒステリックに叫んだ。
クローゼットの隅からギターを発見した律夫は、
それこそ狂ったように喚いた、律夫からギターを奪い返そうとして、
法子は逆に突き飛ばされて倒れた。
律夫はギターの絃を引っ張って千切り、
ギターを窓に向かって投げつけた。窓ガラスが勢いよく割れた。
法子の頭の中は真っ白になった。
律夫はなおも奇声を上げながら、クローゼットの中をほじくり返していた。
法子は窓際まで這って進むと、弦の切れたギターを手に立ちあがった。
そして、ロックスターがエキサイトしてギターを破壊する時のように、
ギターを振り上げると、律夫の後頭部めがけて振り下ろした。
数回、ギターを振り下ろすと、律夫は動かなくなった。
隣の家の住人から通報を受けた警察官が駆け付けると、
血まみれのギターを持った法子が部屋の中で、
壊れかけたラジカセで音楽をかけながら、踊っていたそうだ。
その日も遅くまで、会合に出席していた夏目大臣は、
息子が亡くなったことと、娘が息子を殺害したことを知らされ、
その場で昏倒した。
6
現役法務大臣のロック狂の娘が、
将来有望な判事の兄を殺したというニュースは日本全国を駆け巡った。
法子は名門に生まれたサイコ少女として、
メディアに取り上げられた。
裁判はスピーディーに進行し、
実の兄をギターで撲殺した法子は極刑に処せられることになった。
父の尽力で改正された刑法と、
父の尽力で施行された公開処刑法によって、
法子は処刑されることになった。
夏の暑い日、法子の処刑は富士山麓で行われた。
処刑の模様は全国にテレビならびにネットで中継された。
本人の希望により、法子は皮ジャンと皮パンに赤い髪というファッションで、
ギター片手にステージに登場した。
この日の公開処刑には、罪人に5分間の自由時間が与えられるというものだった。
ステージの上で、手錠を外された法子はエレキギターをかき鳴らし、
人の心の自由は決して奪うことができないと、歌いあげた。
所定の5分を経過しても法子は演奏をやめなかった。
執行官たちが法子を取り押さえようとすると、彼女はギターを振り回して暴れた。
そして、執行官の1人の耳に噛みつき、その顔に爪を立てて引搔いた。
観衆たちは彼女の大立ち回りに興奮して、何かロックスターを讃えるような歓声を上げた。
数十秒後、1人の執行官がピーっと笛を吹くと、
銃声が響きわたり、法子はその場にぐったりと崩れおちた。
八島はこの様子を、テレビで見ていたが、法子が崩れ落ちるのを見ると、
ソファーから立ちあがり、しばらくして、がっくりと膝をついた。
7
その後、凶悪犯罪の数は、わずか数年の間に10分の1にまで減少した。
日本の法務大臣としてもっとも著名でもっとも功績があると評された夏目大臣は、
法子の事件の後、そのまま入院し、正気に戻ることが1度もないまま15年後に息を引き取った。
世の中は安全で平和だったが、
いつのころからか、法子は音楽をやっている思春期の少年少女の間で、
反逆の象徴となっていた。
処刑当日の法子の顔がプリントされたTシャツを着た若者とすれ違う度、
八島と喜和子は何か出口のない、言いようのない悲しみに襲われるのだった。
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